前の日に、なんとなく東北まで来てしまったアバルト124スパイダーと、それを動かす中の人。
二日目はどこに行こうか…朝の4時に目が覚めた段階でまだ目的地が定まっていなかった。
ただ戻るだけでは芸がない
仙台からまっすぐに東京に帰ればわずか400kmもない距離で、下道でも10時間はかからない。それじゃツーリングとしてはあまりに短すぎる時間と距離だった。
このオープンカーに最高な季節に、そんな無惨なツーリングがちょっと許せない。
前日のような桜とアバルトの写真も撮りたいし…となると、来た道を戻らずに東京に帰るにはどうしたらいいか?それはもう東北を横断し、山形や新潟を経由し、南下するルートがいいと思った。
快活クラブを出たのは朝の4時、気温は確か一桁半ばで、滅茶苦茶寒い。
前日が暑かったので、服も薄着にしてしまったが、この時間は身体に響く…その瞬間に自分が今いるところは東北なんだと思った。
出発してしばらくは屋根を開けずに走った、というよりそれくらいに寒かった。
仙台でガソリンを一度満タンにする、燃料的にはエンプティギリギリだったのでこのまま進めば山形のどこかで給油になるし、恐らくその場所は仙台よりもガソリン代は高いだろう。
以前は「面倒」という理由で給油をぎりぎりまで避けていたこともあったけど、今はそうじゃなく、ちゃんとゆとりをもって給油する。
第一目的地を山形…そして、ここまで来たならば!と毎度おなじみの峠駅とした。
目の前に蔵王が見える。間違いなく蔵王って山の名前じゃないと思うんだけど、蔵王って呼んでしまうのが地方民の性なんじゃないかな、知らんけど。
気持ち的には蔵王の道を走りたいのだけど、下界で気温一桁なので山岳ルートは走れない可能性が高いし、そもそも冬季通行止めなんじゃね?と思ってやめた。
帰ってから調べてみたけれど、やっぱりNGだった模様。だろうねw
途中、水難事故で有名な小野さつき殉職地があった、ここだったんだ…
そこからは国道4号に沿う形でしばらく南下を続けた。
峠駅へ
仙台を出発して2時間半たったAM6時半ごろ。
峠駅までの道は路肩に雪は残るものの凍結もなく、日が出ている時間であれば凍結もしていなさそうだった。
板谷峠を抜ける県道はゲート封鎖されていたけれど、峠駅まではいける。その道中で分岐する滑川温泉には行けないらしい。
2年ほどまえにバイクで一度行ったことがあったけれど、確かにあの道の除雪は厳しいだろうなと思うし、なんなら峠駅まで冬場に行く需要があるから除雪されるんだろうけど、この道も通行止めになっていないことが奇跡のように思う。
峠駅に到着。
雪や凍結よりも最低地上高ギリギリのアバルトでは、路面の悪さに苦戦する。床下からガリガリと何かが削れる音がするし、前につけたアンダースポイラーが気が付いたらなくなっているんじゃないかって気もする。
特に峠駅周辺は陥没が酷く、9cm程度の最低地上高だとバンパーが死ぬ。
そういうクルマで来る場所じゃない、バイクのほうが全然いい。
かといってこの道幅をステルヴィオで来たいとも思わない。。。
次来るときはイタルジェットかな?まだ300の納車日は決まらないけれど。
新幹線の通過を待つほどでもなかったので先を急ぐ。
山形~新潟へ
実質4時間も寝ていなかったせいか、急激に気温があがったせいか、峠駅を出たあたりから猛烈な睡魔に襲われ、途中の休憩場で30分ほど仮眠した。
それなりに寝ないと二日目がしんどくなることに衰えを感じずにはいられないけれど、フルバケに収まって寝ただけでその後夜まで運転できるくらいに体力は回復したのでまだまだやれる感もある。
休憩しているので屋根は閉まっているけれど、蔵王をすぎたあたりからはずっとオープンで、この日も結局駐車中を除けばずっとオープンだった。
ひよこ食堂がちゃんとあってよかった(´;ω;`)
次に来るときはゆっくり食事をしたいかな。。。
新潟ゑ
山形からどのように新潟へ抜けるのか?大雑把に言えば喜多方まで南下して国道459号を西に抜けるルート、そしてもう一つは米沢から国道113号を使い日本海まで横断するルート。
後者のルート、そういえば一度も走ったことがない。
走ったことがないルートを走るのはわくわくするじゃない?っていうことで、ひよこ食堂でナビを合わせて西へ向かう。
ところが運が悪いことに、法定速度のマイナス10km/h以下で走る大型トラックが前を走る…追い越し禁止区間が多いのに、一向に道を譲ろうとせず、登坂になるとさらに速度は落ちて20km/hとかになる…何を積んでるんだ?核燃料か?だったら慎重になるよな?と若干イライラもしつつ、数少ないパッシングポイントで一気に追い越した。
追い越しても、その先にはまたもや制限速度以下で走る地元ナンバー…なんなんだこの道は?法定速度以下で走るのが大流行しているのか??
気が付けば新潟県内に突入。
国道の脇道によさげな桜並木を見つけて寄り道した。単に、前を走るクルマが遅すぎて、一度車列を離れて気持ちをリセットしたかったって話でもある。
新潟でも桜!桜とアバルトは良く似合う、知らんけど。
新潟に入ると一気に気温が上がった。
もうエアコンなしにはオープンで走るのは不可能なくらいに暑い。帽子がないと頭が焼けるレベルだ。それでも幌を閉めないのはオープン乗りの意地でもある。
通り過ぎるコペンやロードスター、それらのオープン勢が誰一人として屋根を開けていないので、まぁそういうことなんだろうとは思うんだけど、やっぱりオープンはオープンにしてこそだ。やせ我慢じゃない、やせてるけど。
近くの道の駅でトイレ休憩を兼ねて…ぽっぽ焼きを購入。
これが本日の朝ごはんだ。
こんな山奥?の道の駅に出店があるとは思わなかったけれど、よくよく地図を見れば新発田の隣だった。ぽっぽ焼きは新発田がルーツのはずなので、だったら売っていてもおかしくはない。
同じとき、地図を見ていたら「胎内」の文字を見つけた。
胎内観音に小学校のとき、遠足で行ったことがある。通り道に寄れそうなので、まずは胎内観音を目指すことにした。
胎内観音から日本海
胎内へ逸れる道に入ると、一気に渋滞が始まった…何事かと思えば、山形で自分の前をとろとろ走っていたトラックがそこにいたw
かれこれ30分以上のロスをこちらはしているので、それだけロスがあって少し前を走るレベルの速度で新潟まで来たわけだ。法定速度を悪い意味で遵守する姿勢にイラついたドライバーが次々に追い抜いていく、自分は途中でショートカットルートを通りトラックをパスした。
胎内観音にやってきた。
もう30年近く昔に一度来ただけの場所で、まったく記憶に残っていない。記憶に残っているのは、同じ遠足で立ち寄った公園で池に落ちて大変な目にあったことだけだ。なんでかわからないけれど、子供のころはよく池に落ちた(´;ω;`)ブワッ
もう少し大きい観音像だった印象もあるけれど、そうでもない?
しかし、青銅製の観音では日本一の大きさらしい。自分の中では「人面石」のほうが印象深い。
当時は学校の怪談をはじめとして怪談ブームだった。人面犬や人面魚などがTVを騒がす中で胎内観音には人面石(童女石と言われる)があったことは覚えている。小学生にとれば、そっちのほうが興味を引くし、盛り上がった記憶もある。
ただ、童女石の由来がそうであるように、この胎内観音は水害による大きな被害の犠牲者を慰霊するために作られたものだ。そんなことは、当時はわからなかったし、なんなら今日このときに知った。
ひとつの町を壊滅させた水害、日本はむかしから災害とのかかわりが深い。人の力では完全な意味で災害に対して立ち向かうことは難しい、それが昭和の話ならなおのこと。小学生の自分にはそんなことはわからなかったけれど、今ならこの場所の意味を理解することができる、なのでせめてと手を合わせて胎内を後にした。
胎内から20分もかからずに日本海側に抜けることができる。
すれ違うオープンカーは誰一人としてやはりオープンにしていない。
そりゃそうだ、気温は完全に真夏日で、日差しはバカなオープンドライブを愉しむドライバーを容赦なく焼き殺しに来る。この数日後に新潟県は全国で一番高い気温を記録していたけれど、車内の温度計も30℃近い数値を出していた。
窓を開けようが何をしようが、もう暑いものは暑い。
アバルトの帽子をかぶり、エアコンを全開にして新潟空港方面へ進む。
松浜の橋を渡る。
小学生の頃、「ここを子供ひとりで出てはいけない」と設定されていた校区を抜けた先にあるこの松浜の橋から見るこの景色がとても怖かった。なんでか知らないけど、今見てもやっぱり少し不気味に感じる。
前にもブログに書いた気がするけれど、校区の境目になるこの阿賀野川にかかる橋、渡るのはすごく久しぶりだ。
子供のころ禁忌だった校区外への移動が、やはり今もどこか引っ掛かっているのか、阿賀野川を渡るときはなんだか妙にドキドキする。
その「校区」という考え方って今も存在しているのか、そもそも新潟のこのあたりだけの文化だったのか…息子の小学校ではそんなものは無いので少し不思議(SF)だ。
校区という単語自体はあるものの、それは入学できる学校のエリアを指す言葉のようで、自分が体験した「ここから出てはいけない」というエリアではないように思う。
もしかすると、自分が住んでいた町は用水路や川という水場が多く、水難事故が起きていたから学校独自に設定されたルールなのかもしれない。
新潟流イタリアン
ちょうどお昼時だったので、元実家の近くのイオン(当時はジャスコだ)に移動。
ジャスコとしての開業は1993年7月だった。自分が10歳のころにできた。
11歳の夏に新潟から群馬に引っ越したので、自分は1年くらいしかこのジャスコを知らないが、このエリアでは文句なしにダントツの規模の施設だった。何しろ、建物の中に遊園地(ジェットコースターもあった)があるなんて信じられなかった。
なんたって、この地域にはコンビニ的なものが当時なく、子供が買い物をできる場所は近所の酒屋しかなかったんだからね。新潟空港の近くといっても93年ってのはそんな時代だった。
校区を無視して遊び惚ける悪ガキだった自分は、友達を引き連れてジャスコの遊園地でさんざん遊んだし、当時付き合ってた(子供感覚でw)女子との初デートもジャスコだったw
もうジャスコにいけばなんでも揃う万能感が田舎の子供にはたまらない。
同時にここはサンリオの「しぶざる」に出会った場所であり、自分が小学生の小遣いでグッズを買い集められず、いつのまにか「しぶざる」グッズが消えていたことで猛烈なトラウマ…自分に資金があれば推しきれた(今風に言えば)のに!!という感情を芽生えさせ、今なおひよこやペンギングッズを惜しみなく買い続けるきっかけを生んだ場所でもある。
そんな話はどうでもいいとして…ランチ。
新潟でイタリアンと言えばイタリアンだ。
マツダ製のなんちゃってイタリアンに乗って、よくわからない新潟イタリアンを食べに来るなんて最高にシャレている、知らんけど。
みかづきのたこ焼きは子供のころからあった気がするw
なんかね、とてつもなくチープな味なんだけど、これがまたスナック的で美味い。量も適当なサイズなので、イタリアンの並盛とたこ焼きで自分はお腹パンパン、普通の男性ならちょうどいいくらいのボリュームになる。
今日はカレーイタリアンにした、もうネーミング的になんだかわかんねーなって感じがするのがイタリアン。まったくもってイタリアンじゃないし、「ミラノ」を「ジュニア」に改名させたイタリア政府がいつブチ切れるのか怪しいところって食べ物だけど、新潟に来たなら一度は食べてほしいね。
個人的には最近になって出てきたソースかつだかラーメンとかよりもこっちのほうがずっと新潟で食べてほしいB級グルメだ。イタリアンとぽっぽ焼きだけ食べておけばあなたも立派な新潟県ファンだ、知らんけど。
食後はわかる人にはわかる、もうひとつの新潟が誇るイタリアへ。
イタリア軒は、新潟とイタリアの切っても切れない縁のルーツとなった場所。
単に細長い新潟県の形とイタリアが似ているからとかそういうのではなく、由緒ある関係性が新潟とイタリアの間にはあるので、ぜひともイタリア軒のサイトを見てほしい。
この歴史を重んじるからこそ、真の新潟県民はイタリア文化を愛し、イタリア車を愛する、知らんけど。
ま、冗談抜きで言えば、うちの家はこのイタリア軒の歴史とも切っても切れない縁があるので、親戚にもイタリア車に乗る人が非常に多いし、イタリア文化に惹かれるところがある。適当に楽しけりゃOKみたいな生き方の親戚が多いのもきっとそういう歴史に関係がある、知らんけど。
イタリア軒はホテルとしてはよく使う(すぐ近くにうちの墓があるので、墓参りの時にw)のだけど、アバルトのようなイタリア車(の偽物)で来るのは初めてだった。
シーサイドライン
新潟市内を離れシーサイドラインで弥彦まで行った。
海沿いの道だけど、とにかく暑すぎて、湿気も多く、快適とは程遠い。まだ4月中旬のはずなんだけど、そんな感じが一切しない、真夏だ。
気温は25℃らしいけど、この時期としては暑いほうだろうし、直射日光を遮るものがないので日差しをもろにくらうから体感気温はざっと40℃近くに感じる…車内に置いておいた冷たいドリンクがものの30分もしないうちにぬるま湯になる。
シーサイドラインが渋滞しはじめたので、一度弥彦に立ち寄った。
弥彦のワインディングはアバルト124スパイダーによく合っていて、とにかく面白い。
オープンで海岸線と走るのも気持ちいい(今日はそんなことはないけれど)けれど、やっぱりこのクルマはタイトなワインディングで生き生きと走る。
タイヤはそんなに減っていないはずだけど、路面が滑りやすいのかコーナーではリアがグリップを失うことが幾度となくあったけれど、そもそも非力なのでアクセルでどうにでもコントロールできるのがいい。
ロードスターと比べれば1,150kgの車重は決して軽いとはいえないものの、ECUチューンで実馬力があがっているのでパワーウェイトレシオで見ればロードスターとさほど変わりないはずで、下から湧き上がるターボのトルクと、レコモンマフラーの高音に抜ける気持ちいいサウンドがやる気にさせてくれる。
だらだらと流したあとに、「ちょっと」遊べるアバルト124スパイダーの適度な緩さが好きだ、本気にならなくてもこのクルマはあらゆるシチュエーションで楽しい。しかもATなので、全行程の8割くらいは楽できる(ぉ
長い距離を走るのは好きだけど、別にMTでガチャガチャやることに楽しさを感じている人ではないし、「楽できるところは楽したい」人なので…ね?
何度も書いているけれどトランスミッションだけがクルマの楽しさじゃないし、気持ちよさを決めているとも思わない。パワートレイン全体で見たときに、余程クソなトランスミッションじゃなければいい。同じエンジンを積んでいたフィアット500XのATはかなりイケてなかったけれど、124はアイシン製のATがそこまで悪くはないし、ATのコンピュータも書き換わっているから十分だ。
マニュアルモードで任意のギアを選択すればそこそこスポーティーに走れるし、好きなときにシフトダウンして快音が聞ける、これで十分だ。
ワインディングを攻めていると余計にそう思う。
唯一、ATにデメリットがあるとすればスピンターンしたいときにクラッチが切れないので難しいってことだけど、そんなシチュエーションが日常ではほぼない。
弥彦の展望台?に向かう途中にあった、インスタグラマーが飛んで「ばえー」っていいそうな場所。
バイクで吹っ飛んだら楽しそうだけど、いい感じに大けがはしそうである。
二日目終了
柏崎の原発あたりまで海沿いを走り、そこからは内陸部へ。
今日は群馬の実家に一泊するつもり。体力的な面よりも、色々と汚れたので洗車がしたかったってのと、もう少しで下取りになるイタルジェットの純正パーツの残り分を回収したかったからだ。
ステルヴィオなら1発で終わるんだけど、別に急ぎではなかったし、ステルヴィオよりもアバルト124のほうが全然楽しいってのもあって乗れる時間はこっちに乗りたいからついでを作った。
スズキノリが大勢走りそうな場所だ。
国道17号に抜ける山岳地帯も要所要所に気持ちのいいワインディングが入る。
山沿いはひんやりするけれど、日中の暑さを思えばオープンで気持ちがいいくらいだ。
雪が見えると気持ち的にも涼しくなるのがいい。
ワインディングはやっぱりオープンで走るのがいい。
単純に気持ちがいいってのもあるけれど、20kg近くある幌がドライバーの後ろに降りることでリアタイヤのトラクションが明らかに増え、走りが一段鋭くなる。
雨の日などは特に顕著で、幌を閉めなきゃいけないけれど、リアのトラクションが弱まるのでちょっと動きが神経質になる。こうなると幌を閉めても一定のトラクションが約束されるリアウィングを装着したくなるってもんだ。
だけど、ウィングがないスポイラーだけのこの姿も気に入っているからデザイン的なことで言えばなかなか悩ましい。
久々に帰りは三国峠を走ったけれど、ここもなかなか面白い。何度かキュッとタイヤが流れ出したけれど、やっぱりどんなときでもアバルトのコントロール性は抜群にいい。
限界がわかる、限界を超えてもなんとかなるというのは気持ち的に楽だ。
少し前まで家にあったメガーヌはそれを一般道で使い切ろうとするとかなり高い速度までひっぱらないといけないし、サーキットを速く走るクルマってのは普通に使うにはその性能が高すぎて面白みにかける。
単体で所有していればメガーヌは最高だったろうけど、アバルトが家にあるとどうしてもアバルトの普段使いで楽しいには敵わないと思った。
そんなこんなで20時くらいに群馬の実家に到着。
十数時間ほぼ走りっぱなしだったけど、不思議と疲れはないのがアバルト124スパイダーの美点。ドライバーが意のままに使えるクルマは疲れないってことで。
楽しい2日間でした。