少し前、伊豆までドライブした際に車内で見ていたすずめの戸締り。
劇場では見たことはなかったけど、劇中でアルファロメオもどきが出てきたこともあったので、書類上はアルファロメオのオーナーとして「これはなんとしても聖地巡礼するしかないだろ!」ってことで、朝の5時に目が覚めたんでなんとなく東北に行くことにした。
仕事?最近働きすぎだから1日くらいサボっても問題ないでしょ、知らんけど。
埼玉~宮城
自分はあまり東北ツーリングにでかけない。単にそこまで行きたい場所がないとか、単に九州の方が好きだからとか、そんな理由はいくつかあるのだけれども、東北ツーリングの良さとしては「あまり渋滞しない」ことがあげられる。
皇居を起点とすると青森の大間まではおよそ900km、北九州までは1,000km弱なので距離的にはそんなに変わらないものの西側はどうしてもえぐい渋滞を起こす大都市の通過を避けられず、そこでの時間的なロスがあり、ドライバーが人間である以上は渋滞による疲労からも逃れようがない。
今回、平日の金曜日から日曜日までまるまる三日間の時間があるとはいえ、翌週はほぼ毎日激務が予想されていたため体力は温存したいってこともあり、本当は九州に行きたい気持ちもある中で、偶然的に見た「すずめの戸締り」の影響で東北を目指した。
リアルタイムでこの映画を見たわけじゃなかったし、そもそも興味もなく、なんとなくドライブ中に見るものがなく話題になってたってことや、たまたまNetflixで配信されたタイミングだったってこともあってみてみたら意外と面白かった(クソ失礼なものいい)こともあって、じゃあ久々に東北行ってみるかーってノリで出発した。
朝5時台、国道4号を南下(都内方向)の道は既に渋滞がはじまっている。これがあるから、都内を抜ける必要がある西側ツーリングの場合、朝の5時出発では遅すぎるんだ。北側も茨城に入るくらいまではところどころ流れが悪くなることはあったけれど、新四号バイパスも宇都宮手前くらいまでは快走できた。
朝は薄曇りで寒かったけれど、オープンで走ると気持ちがいい。
「すずめ」の劇中で出てきたアルファロメオもどきの電動ソフトトップは、実にアルファロメオもといイタリア車らしく途中で動かなくなっていたけれど、こちらは安心と信頼のマツダ…国産車だし、信頼の手動だから安心だ。
かなーり余談だったけれど、この土日は気温も高くオープンカー日和。それでか電動ルーフのフランス車(まぁプジョー)が久々に屋根を開けたら閉まらなくなったって人を数人SNSで目撃した。「すずめ」はアルファロメオじゃなく、プジョーでやればよかったのにね、知らんけど。
矢板ICから宮城までは高速、この時点で朝の8時くらいだったので国道4号を北上するにも混雑が始まる時間だ、今日中に聖地巡礼を終わらせたいので急いで岩手まで向かう必要があった。
宮城に入ったあたりで、雨が降りそうな感じにはなったけれど天気はぎりぎりで持ち、第一チェックポイントまでのおよそ4時間、フルオープンで走ることができた。
道の駅 大谷海岸
屋根が閉まらなくなったアルファロメオもどきが、途中で降ってきた雨に耐え切れず入ったのがこの宮城にある道の駅 大谷海岸だった。
ふれこみは日本一海に近い道の駅だったっけ?
道の駅にはこんなものもある。
ポップには劇中で登場人物が何を食べたかも書いてある。
もちろん、書類上のアルファロメオオーナーとしては、アルファロメオもどきに乗っていた芹澤さんと同じ海鮮ラーメンだろうね。
エビとホタテ(だと思う、知らんけど)のでかでかとした具が凄い。
正午前になって日差しがきつくなり、外の気温はいい感じに高い。
帽子をかぶって日差しをかわし、エアコンはつけるかつけないかギリギリきわどい温度にまでなっている。
暑さにやられたのか、いきなり歩道を爆走するクルマが現れた。
擁護するわけではないけれど、この道の駅の出入り口、特に道路に出る側は歩道と道路が同じような幅なので確かに見間違いやすいなって気はした。
道の駅でペンギンのぬいぐるみを購入、旅のお供にした。
というわけで先を急ごう。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
道の駅 大谷海岸から10分くらい走ったところにある、かの東日本大震災の遺構。
気仙沼はかの震災で被害が大きかった場所の一つで、印象的な津波映像で記憶している人も多いと思う。
施設ではまず最初に津波被害の映像を見て、そのあとに実際に被害を受けた気仙沼向洋高校の校舎を歩き、最後に3名の被災者のその後の生活的なものを記録した映像を見るという構成。
自分も仕事の中心が防災になっており、その防災はこの東日本大震災を教訓にしてより重要度を増したものでもある。現時点で働いている都心が津波被害がどれだけあるの?とかその辺の話はさておいても、実際に被害を受けた場所をに足を運ぶことで多少なり肌で感じ取れるものがある。
ひっくり返ったクルマがある、これも津波で流されてきたものだ。
肝心なのはこの場所。
ここは校舎の3Fなんだ。
震災直後からしばらく、船が建物の上に乗っかっている写真や映像を見た人も多いと思うけれど、この高さまでクルマが流されるというのは恐ろしい。
高台に避難しろとはいうものの、津波の高さはこの場所で12mもあったそうだ。東日本の震災が起きるまで、自分もそんな高さまで津波が押し寄せてくるとは想像すらしたことがなかった。
高いところに避難しろってせいぜい2階くらいだろうと舐めていたけれど、その意識で当時の気仙沼にいたなら確実に死んでいた。事実、そういう考えの人も多かったんだろうし、想定を超えた津波の高さが多くの犠牲者を生んだ。
少なからず、これを教訓にしたからのちの地震の多くでは津波による被害者は劇的に減った。先日の能登の地震もこの教訓があってこその被害の少なさなのだと思う。
外に出ると校舎がえぐれているのがわかる。
冷凍工場の激突跡という言葉に一瞬だけ頭が混乱する。激突してくるものじゃないだろ、工場は…でもそれだけ巨大な建物が流されるというのが大津波の威力だった。
気仙沼ではほかにも港で船の燃料を保管していたタンクが流され、洋上火災が起きたり、とにもかくにも当時あの映像を見たときに「なんだこれは」と思ったけれど、あの震災から13年経ち、記憶もだいぶ薄れてきたところにこの衝撃的な現実を目の当たりにし、言葉にできない感情がこみ上げる。
3月11日、その翌日に卒業式を控える学校もあったそうだ。誰も、こんな地震が起きるなんて予想もしていなかっただろうし、当たり前のように卒業式をクラスメイトと迎えるはずだったに違いないが、その当たり前は一瞬で消え去った。
震災は人々の日常を奪う。それは誰にも予測できないし、防ぎようがない。防災なんて仕事では言っているけれど、一体どこまで何をしたらいいのかは実際のところよくわからない。「想定は超えるもの」という言葉がこの施設でもあったけれど、人間の想像力には限りがあるし、防災で企業ができることにも限界がある。
できることには限界はあるけれど、できることをできるだけやろう。そう思いを新たにできる場所であり、犠牲となった人々のその人生を無駄にしないために教訓とし、一人でも多くの人が助かる道を選択できるように備え、行動しよう。それが震災遺構が、遺構としていまここにある意味なんだと思う。
施設の最後に流れた映像、これひとりで見てたからまだよかったけど、もう大号泣でやばかった…とにかく、ここには一度足を運んでほしいと思う。
ここからの帰り道、ちょうど小学生の下校時刻に重なった。道を歩く小学生たちは、年齢的にも震災後にこの気仙沼に生まれ育った子だと思う。というより、今の中学生以下はみんな震災後に生まれているのでこの未曽有の大震災を知らない。
自分の息子も小学校4年生なので震災の映像も全然見たこともないだろうし、何かを考えたこともないと思うんだけど、新学期になりハザードマップを学校からもらってきていたのでもしかするとそういう教育が入る学年なのかもしれない。それも踏まえて、今度は息子を連れて東北を回り、「あの日、あの場所で何が起きたのか」を伝えたいと思う。それは息子自身の命を救うことにもなるだろうし、息子が誰かを助けることにもつながるかもしれない。犠牲者の、その犠牲を無駄にしないために伝える教育の必要性をこういう形で気づかされたというだけでも、ここまで来た甲斐は十分にあったかな。
岩手、連続聖地巡礼
気仙沼を離れ、無料で走れる三陸道を北上する。
一時間も走れば、ここからは連続で聖地巡礼ができる岩手県エリア。
最初に訪れたのは「あの扉」がある山田湾展望台。
ちょっと入口がわかりづらくて通り過ぎてしまった(´;ω;`)ブワッ
ドアノブを持ったら外れて地味に焦った…
地上波で放送されたり、Netflixで配信されたとはいえ劇場公開からずいぶん経つのでそこまで聖地巡礼に訪れている人も少ないのか、ここでは誰にもかちあわなかった。
展望台というだけあり、ちょっと高いところから撮影もできる。
近くにある道の駅が「道の駅 山田 おいすた」になっていることからわかるように?山田湾は牡蠣の生産が盛んらしい。
そういえば、前に北海道の帰りに三陸道を南下している最中、この山田の道の駅で昼食を食べようとしたものの、あまりに混みすぎてて断念した覚えがある。その山田が聖地巡礼のスポットだったとは知らなかった。
要石もあった。
扉の場所から数分も行けば、次の目的地の駅があるので移動する。
織笠駅は劇中最後に出てきた場所だったね。
ここには聖地巡礼ぽいカップルがいた。
三陸鉄道の駅。
待合室の中には…
織笠駅の時点で15時半くらいになっていた。最近は日が沈むのが遅いので、日没まで3時間くらいあるとはいえ行程を考えるとわりとぎりぎりな気がしないでもない。
何より、明るいうちにアバルトの写真もたくさん撮りたいしね。
先を急ごう。
にしてもすごいシュールな絵w
芹澤さん事故現場
気温はだいぶ高く、屋根を閉めたほうが快適なんじゃね?という思いはあるものの、オープンカーはオープンが一番美しい、だから晴れている限りは屋根を閉めないのがオープンカー乗りのあるべき姿だって誰かが言っていた気がする、知らんけど。
というわけで、アバルトはさらに道を北上する。
三陸沿岸道路は日中でも快走できる区間が多く、隣の三陸道を使えば無料だし、時間的にも速く到達できるのはわかっているものの、アバルトのキャラを考えるとどうしたってくねくね道を選択してしまう。
パワーもトルクも十分にあるから高速道が苦痛なわけじゃない、ただロードスターを親に持つアバルト124スパイダーは直線よりもコーナーが楽しい。三陸のくねくね道を走るとより強くそう思えてくる。
そんなこんなで北上すること20分弱?アルファロメオの聖地だ(何
なんてことのないただの道、こんな場所で写真を撮るのは「すずめ」の聖地巡礼者の中でもアルファロメオ愛に溢れた人だけか?
さすがにこの高さから落ちたらドアが外れるくらいじゃ済まない気がするw
川沿いにあるこの道は桜もよかった。
先日の箱根以上に、今回のツーリングでは桜を堪能できた。
オープンカーにのっているなら、桜のシーズンにツーリングをしないのはもったいないし、このためにオープンカーを買ったと言ってもそこまで嘘ってことにもならないだろうってくらい、オープンカーの醍醐味をこの数週間で味わった気がする。
毛虫が落ちてきた瞬間に、オープンカーに対する評価は変わると思うけど。
宮古へ
芹澤さん事故現場から北上すること15分、最後の目的地である宮古に到着。
Googlemapにも「あの扉」と書かれたスポット。
何もないところに扉だけあるものだから、「すずめ」を知らない人からしたらドラえもんに出てくる「どこだかどあ」のモニュメントかと思うかもね、知らんけど。
ここは主人公の実家のあたりって設定があるらしい。
なのでそれなりに有名ぽい。
気が付けば宮古まで来てしまった、この時点で岩手県も半分まで走った。
三陸道や全体的に快走できる道路が多い為か、距離はかなり走っているはずだけどそこまで走ったという感じがしない。天気もよいし、アバルトで走り回るには最高の1日だった。
さて、これからどうしよう?
青森に抜けようか、それとも本州を横断しようか、悩ましい決断に迫られた。とはいえ、明日の夜には群馬の実家に行きたい(イタルジェットの純正部品をあずけているので、回収しないといけない)ので北海道を見れる距離までドライブするのもちょっとなーという感じがした。
それに、そのコースは北海道の帰りにもやっているのでどうせなら走ったことがないルートを走りたいし、このまま北上して夜になった時の宿泊地が悩ましい問題になっていた。
三陸側に自分が愛してやまない快活クラブはない、つまり寝場所がない(まるで快活だけが寝床のような発言だけど、実際月の大半は快活で寝てる)というこなので体力的な不安もあり仙台まで戻って、そこでサウナを浴びてから快活に泊まろうと考えた。
重茂半島ツーリング
そのまま来た道を戻るのはナンセンスと感じたので、重茂半島を走ることにした。距離にしてどのくらい余計に走るのかはわからなかったけど、宮古でガソリンを満タンにしてから重茂半島に戻った。
この半島、全日本ラリーとかに出てきそうな道でかなり面白い。
「あの扉」から半島に入ると超前半は海沿いのくねくね道を愉しめ、すぐに山道に入る。前半は広めの道で、アバルトならパワーに任せてぐんぐんのぼり、やろうと思えばパワースライドで遊べたりする。
中盤を過ぎてからは一気に道幅が狭くなるが、それでもアバルトの車幅であれば問題ない、なんの苦労もなく進めてしまう。
途中で、寄り道。
本州最東端のキャンプ場まで。
ここから徒歩で1時間くらいかければ最東端の地へ行けるぽいけど…
既に17時前、日没まで1時間弱なので行ったら最後、帰りは遭難覚悟になるのであきらめた。自走でいける本州最東端がここになるのかはわからないけれど、まぁ東の果てまで来た。本土まで含めると、自走でいけるのは北海道になるのでそこは既にアバルトでも走っているのでまぁいいや感。
ここでトイレだけ済ませて先を急ぐ。
途中で桜を見つけたので撮影タイム。
重茂半島は道も面白かったけど、この桜のスポットも大変よかった。
それにしてもアバルトと桜は良く似合う。
夕方になっても気温はまだ高く、オープンでちょうどいいくらい。バイクと違い、寒くなれば屋根閉めて暖房つければいいやって気楽さがたまらない。
バイクはバイクで楽しいんだけど、アバルトが来てからは長距離はアバルトでいいやって感じになってしまった。その代わり、短距離はバイクで思いっきり楽しみたい。
半島を抜けたのは18時過ぎだった、確か日没が18時すぎくらいだった。
日が長くなったので、走るにはとてもいい季節になった。暗くなると撮影もしづらいし、やっぱり明るい方が安全だ。それにしても、なんだこのトンネルの名前…
調べてみると、この山田地区で30年以上続いた劇が名前の由来だったらしい。
なるほど、知らなかった…
18時半前に扉の前に戻ってきた。
ここからはもう仙台に向かうだけだ。
仙台へ
時間的にも夕食の時間だったが、近場の道の駅はもう閉まっていた。。。とにかく、飲食店の閉店時間が早い。都会のノリで21時、22時くらいまでどこでも開いているだろうと思うと食事難民になる。
目星をつけた店の営業時間に間に合わず、40分くらい南下した釜石にある店に入った。
ラーメンとジンギスカンがある個人経営のレストランのようだった、魚よりも気分的には肉が食べたい気持ちもあったのでちょうどいい。
ジンギスカン定食なり。
ジンギスカンを食べなさ過ぎて、どう焼いたら正解なのかわからず、慌ててスマホで焼き方を調べてしもうた(´;ω;`)
ピーマンを除き、ちゃんと野菜まで食べたのは偉い。
食後、さらに1時間ほど南下して最初に降り立った道の駅 大谷海岸まで戻った。
20時を過ぎると道の駅は車中泊勢でにぎわっていた。アバルトの爆音はかなり迷惑だろうから、ささっと止めてトイレと撮影だけ済ませちゃうw
短時間だけなので、優先スペースを間借りして劇中でクルマを停めたあたりに移動させた。
幌車だからちゃんと屋根はしまるね(しつこい)。
三陸道を走れば仙台まですぐなんだけど、単調な高速道は面白みがないし、来た道と同じ道を進むのもつまらないので下道である程度まで走ることにした。
くねくね道が続いて面白かったけれど、途中で何度か鹿が飛び出してきたので夜間走行なら三陸道の方が安全だろうね(´;ω;`)ブワッ
何度かぽつぽつ雨にも降られたけれど、屋根を閉めるほどでもなく、23時前に仙台に到着した。
仙台に来るといつもここでサウナを浴びている気がしないでもないけれど、韓国式?とかいうんだっけ…あの独特なドーム型のサウナが結構好きでどうしてもここにきてしまう。
あと、斜め向かいに快活クラブがあるのでサウナ後に数分で快活できるのもいいw
地図で見てもすぐ近くだってわかる。
残念ながら鍵付きの個室が開いていなかったけど、どうせ日の出前には出発する。
到着が23時すぎだったので、せいぜい4時間程度の滞在なのでフラットスペースで寝れたらいいや…貴重品も財布くらいしかないし。。。
というわけでこの日は仙台までで終わり!翌日はどこを走ろうか考えているうちに寝落ちしてしまってましたとさ、ちゃんちゃん。