7月21日(水)午前0時16分、これから九州を目指しドライブにでかけます。
今年は夏休みが分割になってしまい、前半と後半でそれぞれ一週間程度の休暇が付与されているのですがその前半を利用して何をしようと考えたときとりあえず九州に行こうとなりました。
プジョー3008で九州に行くのはこれが何度目か…何度目かなわけですが、ただ行くだけでは面白くないと思い今回は九州に行く道中、その都道府県にある「空港」に立ち寄ってから九州に上陸、そして九州の空港を回って帰ってくるドライブにします。
なぜ空港なのか?道の駅では数が多すぎるし、その他でいいチェックポイント代わりになるものは何かと考えたときに自分が好きな場所として「空港」があっただけで特に深い理由はありません。
尚、九州に向かう道中と九州の空港と書いていますが離島は省いています。21日に出発し26日の昼までには戻ってこないとその26日夜の仕事に間に合わず、離島まで含むとそもそも東京都の時点でドライブがおしまい…というより離島は自走で上陸できないところも多いため自走でという趣旨に反するところもあり今回は省きました。
尚、「空港」をメインにしていますが一部「飛行場」もあります。また抜けもあると思いますがそのあたりはご愛嬌ということでよろしくおねがいしたいところです。
「空港」と「飛行場」は何が違うの?
同じ航空機が離着陸する場所であるのになぜ「空港」と「飛行場」という呼び方がなぜあるのか、みんな適当に呼びやすいほうで呼んでいるのだろうか、いいえこの2つにはきちんとした違いがあるのです。
驚いたことにあまりそれが知られていないと今回のドライブで感じましたが、同時に「確かにこれは違いがわからない」と思うようなものでもあったためドライブをするにあたりこの2つの違いについては最初に書いておく必要があるでしょう。
大雑把に書いてしまえば私達が日常的に飛行機を利用して出張や旅行に出かける施設は「空港」、私達が普段使うことはなく遊覧飛行や報道機関や行政機関がヘリや飛行機を飛ばす滑走路がある施設を「飛行場」と呼んでいます(※もっと細かい法などもあるのですが割愛します、気になる人は調べてください)
ただ紛らわしい施設があるのが実際のところ。
たとえば今回では最終日に行くことになった鳥取県の米子鬼太郎空港の正式名称は「美保飛行場」になっていますし、今回は訪れなかった茨城空港も正式名称は「百里飛行場」です。両者に共通するのは「自衛隊との共用滑走路を持つこと」で、もともとは自衛隊が使っていた滑走路を民間が使えるように取り計らい、その中で愛称を公募した結果「空港」となった例もあるのです。
厳密には空港と呼ばれる施設は空港法で定義されており定期便があれば空港になりますが自衛隊と共用するため飛行場と呼ばれたり、国交省的には飛行場に空港と愛称を付けることも特に問題にしていないためこのようなわかりづらい形になっているように思います。
そもそもの歴史をたどれば戦前まで日本に「空港」は存在せず「飛行場」だけだったのです。戦後になり戦勝国であった米国が接収したそれらの施設を日本側に返還したタイミングでときの運輸省(現国交省)の管轄となり空港整備法の下で1〜3種の空港に分類されて空港を名乗るようになった経緯があります。
そのタイミングであまりに小規模(滑走路が短い)な施設は空港を名乗らず飛行場のまま現在に至るというのが理由のひとつとしてあるとも言われています。
いずれにせよ「空港」と「飛行場」の名称は空港法の中で定義はされるものの、名乗りは自由であるため私達が適当な土地を買収し滑走路を開き国に認めらた際、それが自家用ジェットを飛ばすためだけの1200m滑走路しか持たない場所でも田中空港とか適当な名前を名乗ることは可能というわけです。
この辺のややこしさがこの2つの名称の意味をより複雑にしているとも言えそうですが、今回のドライブでは「定期便がある」施設を空港と定め、そこをメインに回っていくものとなります。
時間や距離的な問題で飛行場も行ったり、行かなかったりしていますが、一旦は定期便が存在する空港はすべて回れたはずです。
そんな定義をした上で今回の4,000kmに渡るドライブと各空港の紹介をしていきます。
では長いですが、お時間のある方はよろしくお付き合いください。
Day1スタート(東京〜岡山)
1港目:調布飛行場
調布飛行場|東京都の離島・空港|東京都港湾局公式ホームページ
1港目から飛行場、正式名称は「東京都調布飛行場」となります。
調布飛行場は先の「空港」と「飛行場」の項目でも書いた戦前から存在している飛行場で、その名残が飛行場の近くにある戦闘機を隠すための掩体壕からも見て取れます。
もともと軍事基地として生まれたわけではなく1941年に現在の東京都でもある東京府によって公共用飛行場として生まれ、それが戦時中には日本陸軍が利用する滑走路となったわけです。戦争末期には戦闘機はほぼ九州へ移動し、調布には偵察機が残された程度だということですが戦後は米軍に接収され彼らの飛行場や農地として利用されたそうです。当時は現在の西部多摩川線から飛行場までの引込線があったようですがその面影はGooglemap上からは見つけることができませんでした。
なぜ1港目から飛行場に行ったのか、それは調布飛行場は定期便があるからです。
定期航空路|東京都の離島・空港|東京都港湾局公式ホームページ
東京都が管理する飛行場ということもあり東京都の離島部へは1日3便から4便とかなりの本数を飛ばしており、単純に航路と数だけであればその辺の地方空港よりもよほど多いのです。
大島までは竹芝桟橋からフェリーで6時間、高速船でも1時間45分ですが上記の図を見る限り飛行機であれば25分で到着してしまいます、意外と便利??
そんな調布飛行場ですが印象深いのは今から6年前の2015年7月26日、離陸直後の小型機が住宅街に墜落し飛行機の搭乗者2名、住民1名が死亡するという事故です。操縦技術維持目的の慣熟飛行として届け出られていたものの、このように住宅街にある調布飛行場では本来禁止されている観光目的の遊覧飛行だったのではないかという話もあるのですが、慣熟と遊覧の定義もまた「空港」と「飛行場」の定義のように曖昧なところもありましたが結果的には慣熟飛行ではないと判断され該当法人は航空法違反で書類送検されています。
調布飛行場を後にして東名川崎から高速道路で静岡を目指します。
緊急事態宣言などで高速道路の割引が効かないためコスト削減のため高速を使うのは深夜割引が使える0-4時の間だけと決めています。深夜割引は対象時間に高速道路に乗っていれば有効になるのでこの時点で1時半くらいでしたが一旦高速に乗って休憩しようということです。
本来ならば仮眠を取ってから出発なのですが、レカロシートの交換に時間がかかり帰宅が22時前…その2時間後には出発となったので徹夜となっているのでした。
神奈川県に入っていますがご存知のとおり神奈川県には空港がありません。軍施設としての飛行場は存在していますが神奈川はその立地上、羽田空港を便利に使える位置にあるためあえて広大な費用をかけて空港を整備する必要もないのかもしれません。
2港目:静岡空港
7月21日(水)AM6時半、こちらは東名高速富士川サービスエリアです。
SAに到着したのは2時半でそこから3時間ほど仮眠、そして朝食を食べました。
翌日から4連休となりますがその前日である21日も富士川には車中泊組が結構多かった印象はあります。
富士川SAからおよそ30分、2港目となる「静岡空港」はすぐそこです。
静岡空港、愛称は「富士山静岡空港」、富士山静岡空港株式会社により運営される地方管理空港で新石垣空港が開港するまでは土地開発から含めれば日本で一番新しい空港だったはずです。
戦前からある飛行場、そして海上空港は別として平成になって開港した空港は用地買収の難しさから基本的に市街地に近い場所には作られません。逆に言えば市街地にある調布や福岡などは戦前からある前身となる飛行場があった場所であり、その他は山中か海側に面した広大な場所を確保できる土地に作られます。当たり前ですが滑走路長だけで2,000mや3,000mに及びその他にも土地を確保する必要もある、そして先の調布のように離着陸による騒音や事故などの懸念もあるため基本的には住宅街の近くに作るのは難しい。
静岡空港もそのような事情から山の上に作られ真下をJR東海道新幹線が走っています。
愛称に「富士山」と付きますが特段富士山に近いわけではなく、直線距離でおよそ80kmも離れています。Wikiによれば羽田第三ターミナルまでの距離も96kmと県内にある空港と2都県先の羽田と20kmも変わらないのでやろうと思えば羽田も「富士山東京国際空港」と名乗れるのではないかと思いますが、え…そういう話ではない?
はじめてきましたがまぁまぁ山の上で次の中部国際空港を目指すための国道1号線まで結構な時間がかかったことが印象的ではありました。
時間的にも平日の朝、通勤ラッシュがはじまる時間帯でした。
静岡空港の駐車場でプジョー3008に遭遇できたので幸先のよいスタートに思います。
3港目:中部国際空港
静岡空港を出発したのは午前7時半、ここから愛知県は常滑市にある中部国際空港までは下道でおよそ170km、時間にしておよそ4時間のドライブとなります。すでに高速割引が適用される時間帯ではないので仕方がないのですが下道を使うことになります。
出発時点満タンにした軽油、まだ700km走れることにはなっていますがここからは下道なので一気に燃費が悪化するものと思われます。
富士川SAでおにぎりは食べましたが小腹が減ったので道の駅で浜松餃子を食べました。
やっと中部空港の文字が見えてきました、休憩を挟んだとはいえこの時点で時刻は正午を周り12時半となります。なんと予定を大幅にオーバーする5時間もかかっています。
13時前には到着しました。
道路の看板は「中部空港」とありますが正式名称は「中部国際空港」。
2021年8月現在、日本国内に5つある海上空港の1つで3番目の海上空港として2005年2月に開港。愛知県にはこのあとに訪問する名古屋空港がもともとあったわけですが、あちらは市街地に位置し空港容量の限界、騒音問題などこれ以上の拡張が難しいという判断がかなり早い時期にはあったそうで建設に向けた調査は1980年代なかばからはじまり80年代の終わりには海上が候補地としてあがっていました。
印象的なのは対岸からの近さで関空が連絡橋で陸地から5kmも離れているのに対し中部国際空港はわずか1.2kmとかなり近いのです。もっとも対岸の都市もまた埋め立てで作られた場所、商業施設がメインのためこの近さで24時間運用の空港であったもさほど問題はなかったのでしょう。
この近さは空港へのアクセスにも大きなメリットがあり関空は連絡橋を自動車で渡る場合は最短のICを使っても900円以上がかかりますが中部国際空港の場合は片道180円と大幅に安くなっています。
アクセスで言えば三重県までは高速船での移動ができるため空港がない三重においても中部国際空港は最寄りの空港となるのかもしれません。
この日は欠航も目立ちましたが三重までであれば鉄道や自動車を利用するよりも高速船のほうが早く到着するでしょう。
さてここでランチの時間です。
いつも中部国際空港に来るとフードコートで台湾ラーメンを食べている気がします。
愛知のB級グルメのひとつである台湾ラーメン、お店で言えば味仙が超有名ですがその味仙こそが台湾ラーメンの元祖といわれています。似たようなラーメンでベトコンラーメンと呼ばれるものがあり、自分は学生の頃は台湾ラーメンではなくこのベトコンラーメンを確か岐阜の国道沿いにあるラーメン屋でよく食べていました。似てはいるもののベトコンラーメンはほとんど肉を使わない野菜メインであるという違いがあるそうです。
個人的に大好きなベトコンラーメンはいつか全国のベトコンラーメンをめぐるドライブをしたい、そう思うところです。
4港目:愛知県名古屋飛行場
中部国際空港から名古屋飛行場までは地図で見るとほぼ一直線に北上となります。
こちらは通称「名古屋空港」と呼ばれたり、自分はよく「小牧空港」と呼びますが航空法上の正式名称は「名古屋飛行場」となります。
名古屋飛行場の呼び方が幾多にも及ぶのは複雑な歴史的経緯があり、戦前は名古屋飛行場だったものが戦後に第二種空港に登録されたことで晴れて名古屋空港と呼ばれるようになりましたが、先の中部国際空港の誕生を契機とし、第二種空港の登録から外れてしまったことで飛行場に戻したそうです。
すでに忘れていると思いますがこの記事の冒頭でも書いたように空港も飛行場もその呼び名は非常に曖昧なところがあり別に空港のままでも何ら問題はないわけです。なにより中部国際空港に愛知県空の窓口代表を譲ったとはいえ定期便は未だに就航していますし空港でもあるのです。
航空自衛隊の小牧基地が隣にあります。
自衛隊との共用に見えますが滑走路を共用しているだけで飛行場の管理自体は愛知県が行っているため、そういう意味でも空港と呼んでも何ら違和感はありません。
自衛隊の航空機が頻繁に滑走路で離着陸の訓練のようなものを行っており、航空機マニアと思われる方が三脚を持って展望デッキに来ていたり、これから回るどの空港でも見られなかった光景が広がっていました。
もともとこの名古屋飛行場のものであった空港コード「NGO」は中部国際空港に継承されこちらでは新しく「NKM」を登録しています。ほとんどの航空機は中部国際空港が受け入れるようになり現在は路線も大幅に削減されていますが、立地が名古屋中心部に近く都市高速も側にあるため中部の代表都市である名古屋市への窓口としてビジネスジェットの誘致を盛んに行うなどしているようです。確かに多くの海上空港の弱点は、その立地がその都道府県の中心都市から遠いことにあります。愛知であれば常滑に企業の本社や支社があることは多くなく、多くは名古屋市になるでしょうからそういう意味でも名古屋飛行場に着陸し送迎用自動車で移動した方が断然早そうです。
なんだかんだこれからも名古屋飛行場は愛知で便利に使われる場所ではありそうですね。
名古屋飛行場で仕入れた赤福が今日の晩ごはんです。
旅人の定番、お腹にはかなり貯まるのでこれで十分なのです。
夏なので日は高いのですがすでに18時半、いよいよドライブは大阪府に入ります。
5港目:八尾空港
時刻は18時50分、大阪府は八尾に到着しました。出発してからおよそ19時間が経過、距離はおよそ650kmとなります。寄り道をせずに大阪まで向かえばここまでの距離は走ることはないのですが空港に寄るという目的がある以上は距離が伸びるのは仕方がないことなのです。
航空写真を見るとわかるようにこちらも町のど真ん中に広大な用地を確保されていることから戦前よりそこにある飛行場であることがわかります。元は帝国陸軍の滑走路で戦後1956年より八尾飛行場として共用されました。そのためか、八尾空港には陸上自衛隊が隣接しています。
その後1967年に第二種空港に指定されたことで八尾空港に改称されますが、2008年に空港法上は飛行場扱いに戻されています。しかしながら特例で現在も空港と呼ばれているようではあります。
看板は八尾飛行場なんですけどね。
八尾の市街地に存在することからその運用はかなり厳しい制限があり、運用可能時間は原則として朝8時から19時半までの11.5時間…残業可能な会社の勤務時間のようですね。運用可能な航空機も5.7t未満まで(原則)となっています。
定期便がないとはいえ測量や航空写真などの飛行機を飛ばしたり消防や救助ヘリの運用もなされるなど未だに幅広い用途で使われているのです。
過去には米軍のオスプレイの受け入れの話などもありました。
仮に受け入れができるとしても八尾空港が対応可能な航空機重量は5.7t未満…オスプレイと呼ばれるMV-22は自衛隊の資料を見ると16tと3倍近くあるため受け入れるためには滑走路の強化は必要になると思われます。
https://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/osprey/haibi/pdf/mv22_pamphlet.pdf
どうもSNSで繋がりのあるプジョーオーナーさんが八尾のあたりにお住まいだったようで、時間さえあえばお会いしたかったものですが残念無念でした…まぁ平日ですからね。。
その代わり?に3008にまたここでも遭遇することができました。静岡空港でも白でしたし、なんだったらこのドライブでの白の3008の遭遇率は異様に高かったと思いますし、空港でプジョーに遭遇する率も高かったように思います。
さて八尾をあとに、向かうは関西といえば…そう関西国際空港なのです。
6港目:関西国際空港
関空へは連絡橋の料金がバカ高く、ただ写真を撮るだめだけに行くのであれば1時間無料のりんくうタウン前にある商業施設の駐車場に止めてダッシュしたほうが割安です。商業施設に併設される温浴施設を使うと数時間無料になりますが、関空から戻ったタイミングで気づいたのですが施設の営業時間が21時まで、この駅での写真を撮影している時点で20時20分なので完全に間に合わない時間でした。
りんくうタウンの駅は面白く、改札はひとつであるにも関わらずホームはJRと南海電鉄が共用しているのです。ただ関空側は改札がJRと南海電鉄でバラバラという、本当にこの連絡橋手前のりんくうタウンだけがそうなっているような不思議な構造です。
連絡橋の長さは3,750m、世界最長のトラス橋で6車線道路、伏線鉄道、ライフライン各種が利用する橋ですが2018年に日本を襲った巨大台風、台風21号の影響でタンカーが流され連絡橋に衝突し破損するという恐ろしい事故が起きました。この影響で空港滞在者が空港島に取り残されるということもありましたし、関空自体も台風で浸水などの影響を受け、海上空港の怖さでもあるその一面を見たような気がします。
そんな関西国際空港は1994年開港の日本で2番めの海上空港で、完全人工島の空港としては世界初にして日本初の空港となり当時からかなりの注目を浴びていた空港。24時間運用が可能な空港としても日本初、そのため深夜便が必要になる国際線の運行が盛んであり、国内線よりも国際線の就航数が多い空港は成田と関空だけとのことでした。
沖合5kmの位置に存在するのは騒音問題に対処するところから、ただ実際はそこまで必要はないのではないかという話もあり、陸地から遠ければ遠いほど工事費も上がりまた沈下問題も出てくることから関空での経験が続く中部国際空港に活かされたのです。
沈下問題があったり、少し前にはあのカルロス・ゴーンが逃亡した空港としても名前があがったり、あまり良いことで目にすることが少ない空港にはなっているものの関西を代表する空港は紛れもなくこの関西国際空港なのです。
本来ならば関空後に「りんくうの湯」で風呂を浴びる予定でした、そして少し仮眠をしてまた行動開始というその目論見はコロナ影響で21時閉店という事実を知らなかったことで崩壊します。無料時間終了の1分前に駐車場を出るという奇跡的に無料で駐車場を利用できましたが、それができなかったらダブルショックでしたね。
その代わりに近場によい銭湯を見つけることができました。
サウナが付いて490円、さすが関西という感じのお兄ちゃんがいっぱい(意味深)でしたがお風呂もサウナも最高でした。露天スペースもあり、サウナ後に外気浴ができるのも銭湯としてはなかなかのもの。コロナがなければもっと全然ゆっくりしたかった。。
7港目:大阪国際空港
サウナ後に意外に余裕があったので今日中に行けるところまで行きます。
7港目は大阪国際空港、大阪府と兵庫県伊丹市に跨りその愛称としても「大阪空港」と「伊丹空港」の2つがあります。大阪国際空港とはいうものの関西国際空港ができたことで国際線と貨物は関空に移管され現在は国内線がメインの空港となります。
ここもまた航空写真からわかる立地のとおり戦前にあった大阪第二飛行場がその前身となります。第二があるということは第一も当然ありました。
木津川飛行場と呼ばれたこの場所は1929年に東京と福岡までの定期便を開設していたとあります。1938年時点では国内最大規模の拠点となっていたましたが1939年に大阪第二飛行場が開港するとその役割を終えました。その後もしばらく施設は残ったそうですが戦時中の空襲を受けて跡形もなくなったとのことです。この木津川飛行場ですが歴史的には現羽田空港となるその飛行場よりも早かったと言われています。
そんな第一飛行場に代わり生まれた大阪国際空港、先程の地図からわかるとおり大阪の中心地にほど近い場所にあり鉄道やモノレール、また都市高速を使った中心部へのアクセスが非常によいことが特徴です。
さすがに福岡空港とまでは行きませんが、福岡空港が格別にすごいだけで大阪くらいの距離感であれば国内移動であれば十分に利用価値のある空港とも言えます。
ここにもまたプジョーが…
さて大阪国際空港にいることをTwitterでつぶやいたところ近所のプジョーオーナーのフォロワーさんが駆けつけてくれることになりました。
現行208オーナーさんです。
あまり中の人を露出しないプジョー3008が主役だと思っている人なのであまりイベントにも顔を出さないし、何よりコロナもあってでかけてもあまり人と関わらないようにしていましたが、少数ならあまり問題にはならないでしょう。
なんだかんだいってもプジョーオーナーさんに会えるのは非常に嬉しいことですし、空港をめぐるだけだったドライブだったはずが思いもよらぬ出会いで楽しさが倍増でした。ちょっとだけ眠かったのはありますが、このぷちオフ的なイベントで目が冷めて、このまま今日中に神戸空港まで行こう!という気になりました。
すでに日付は代わり7月22日(木)0時17分、世間では4連休の始まりとなります。
途中までのランデブーありがとうございました!!
8港目:神戸空港
すでに日付は変わってしまっているためDay1なのかという話でもありますが、Dayの基準は睡眠をとる時間を基準にしたいと思います。ですのでまだ一日は終わっていないということでDay1は続きます。
24時間弱で8港と異様な数を回っていますがまだ続きます、ここは神戸空港。関空、大阪に続く関西三空港のひとつ。神戸中心部三宮からはおよそ8kmと近くポートライナーを使ったアクセスがめちゃくちゃ便利な空港です。
神戸空港には複雑な呼び方は特になく、神戸空港。こちらも関空と同じ完全人工島の海上空港で5港ある海上空港では長崎、関西、中部に次ぐ4番目に開港した空港となります。
普段仕事でも飛行機を使わない自分が使ったことがある数少ない空港のひとつ。三宮のお客さんのところに行くために羽田からフライトし、空港とポートライナーの改札が異様に近かったという印象だけが残されています。
神戸空港はポートアイランドの沖合1kmと陸地からかなり近い位置にある空港ですが、ポートアイランド自体が人工島であり住宅というより大学や研究施設が数多くありこの距離感でも騒音などの影響をほぼ受けないということなのでしょう。人工島から人工島へ渡るためか空港までの橋は無料です。
スーパーコンピュータの富岳があることでも有名なポートアイランドですが、クルマで来るのは実ははじめてでした。夜でも普通に入れて、かつ交通量も少ないためか暴走族がやたら多い印象でしたね…関西らしくシビックがやたら多い、これってなんなんですかね、文化?
なんでこんなに漫画で見たようなシビックがいっぱいいるのかよくわかりません、関東でも首都高はありますがほぼ見たことがないワンダーとかが走っているわけですよ。。
とおもったらちゃんと理由はあったようですね。
ポートアイランドで開いていたガソリンスタンドを見つけて給油を済ませます。
今日はここから岡山を目指すわけですが、高速道路に入ってしまうこともあり比較的価格が安いエリアで給油を済ませたいことが理由です。
神戸時点で809km走りました。軽油はほぼ底をつきかけていたのでいいタイミングです。
さすがに19時間くらいは運転しているはずなので疲労はそれなりにありますが、明日の連休では交通量がそれなりに増えると思うこと、また高速道路の深夜割引を使ってぎりぎり行けるところまで距離を伸ばそうと思い岡山を目指すのです。
どのような経路だったかログがうまくのこっていませんでしたが、都市高速を使って国道2号に合流し、どこかから山陽自動車道で岡山に向かったようです。この辺の記憶が曖昧なので相当に眠かったのだと思います。
9港目:岡山空港
普通に生活していて1日でこれだけの空港を回ることがあるかといえば絶対にないでしょう、Day1最後の空港は岡山空港、愛称は「岡山桃太郎空港」です。
当然ながらターミナルは開いていませんので到着までとなります。
この岡山空港ですが、もともとは岡山市内の港側にあった旧岡山空港が前身。現在岡南(こうなん)飛行場と呼ばれている場所が旧岡山空港なのでした。
岡南飛行場の滑走路長はわずか1,200mでこれでは大型機どころか中型機の離着陸すら厳しいまさに飛行場と呼ぶにふさわしい場所で羽田をはじめ松山、宮崎などの定期便こそありましたがジェット機を下ろせない空港で輸送力限界があり、この地形でこれ以上の滑走路延長ができないという事情もあり山林を切り開いた現在の場所に岡山空港は1988年に新規開港となったのです。
戦後に新設された空港の欠点でもある不便な場所に作られてしまうというそれがもろにでている空港で岡山市中心部からはおよそ18kmも離れており立地的には旧岡山空港である岡南飛行場のほうがずっと近いわけです。そのためか県警や消防などの基地も岡南飛行場に設けられています。
ただし3,000mの滑走路をもち大型機の離着陸も可能であり開港当時は利用者数も少ない地方の空港だった岡山空港は今では広島空港に次ぐ利用者数を誇る中国地方で第二位の空港となったのです。
Day1を終えて
岡山空港を見学しすぐさま最寄りの岡山ICから山陽自動車に戻ります、ぎりぎり深夜割引のリミットである4時前に高速道路上に戻り近場の吉備SAが今日のゴールとなりました。
岡山空港からも目と鼻の先でちょうどよかったのですが、このSAは4時前だというのに農作物を外で売っていたりメニューは限定されますが食事もできて素晴らしいところでした。
いくら赤福が腹持ちがいいとはいえすでに食事をしてから12時間以上が経過、その間は何も食べていないのでそれはそれはお腹が減って仕方がないのです。
こんな時間にカレーライスか…と思いましたが空腹故にぺろりと食べられました。
この日の移動距離は途中でプジョーAPPがログを取得していないところもあり計算した限りでは1,020kmの移動距離ということでした。まっすぐに九州を目指しているのであれば下関か九州到達はできているくらいの距離だと思いますが実際にはまだ岡山なのです。
眠気もピーク、Day1はこれ以上に進めそうもないのでDay2は広島空港からスタートとなります。
先にも書いたように1日で9港も空港を回ることが普通生きていてあるのかと言われればまずありませんし、明らかに頭がおかしいことをやっているのは重々承知なのですが、案外この空港を回るという目的がただ移動するだけの普段のドライブにはちょうどいいスパイスになっておりやっているときはすごく楽しいのです。
それに普段見れない空港、行ったことがない空港も実際はかなりあり実際に足を運ぶとこんな場所にあるんだ!という新鮮な発見があったりします。
不便だとか騒音問題がとか、ニュースなどでは目にしても実際に行かないことには本当にそうなのか?というのは実感としてわからないもの。それを肌で感じることができるのは本当によい経験でもあります。
そんなDay1でしたが、以降はここまで過激な数を回りません。
自分としても体力が一番ある初日にある程度の数をこなしたかったこと、そして九州でどうしてもやりたいことがあるのでDay2の昼以降、18時までにはどんなに遅くても北九州に着きたいという思惑がありDay1で無茶はしました。
同じことをする人がいるのかはわかりませんが、実際やってみるとかなりきついのがこのDay1なのでご注意ください。
疲れたら無理なく休む、生きて帰るが最重要!
というわけでDay1のブログを終わります。
ご覧いただけ大変ありがとうございました。