生きてりゃ、眠るチャンスはいくらでもある(挨拶
ちょうど一週間くらい前に、祖母が死にまちた。
喪主は自分じゃなかったのだけど、我が家は父親が土壇場で役に立たない天下御免のうつ病野郎なので、代理としてあれこれやったので覚書。
長男ってこともあるし、そもそも身内が亡くなったのって初!なので割りとドタバタと、「へぇ」ってこともあったりなかったり。
というわけで、kumawoの長いようで短い一週間を時系列で追ってみよう☆ミ
DAY1(2/24)
[22:02]
父より祖母危篤の連絡あり。
埼玉より、祖母が入院する病院に向かおうとするも、バイクしかないので凍結してて危ないから始発で来いと言われ断念。
DAY2(2/25)
[4:43]
父より、恐らく朝までは持たんだろうと電話を受ける。
[4:50]
自宅発
[5:40]
病院着。この時点では容態は安定しているようには見えた。
[7:10]
寝ているように見えた祖母が、ふと一筋涙をながす。
人前で涙なんか流したことがない人なので「何泣いてるん?」と涙拭った直後、容態悪化。
血圧が90から一気に30くらいまで落ち、医師いわく、心臓も動いているというよりは惰性でトコトコしているとか、そういうレベルだと言われる。
あの涙の意味は、死後一週間経った今でもよくわからない。苦しさから解放される喜び?30年以上前に亡くなった旦那に会える喜び?走馬灯でもみて何かを思っての涙?死んだ人間にしかわからないが、後悔がない一生だったらよいなと思っている。
[7:15]
死(Death)
祖母の娘が新潟におり、まだ病院についていないので、到着まで待ってもらうように指示。
その間に生命維持装置は撤去された。気持ち的には「いや、まだ死んでないだろ。なんで呼吸器とか外すんだよ、まじ頃すぞ」だったが、誰だって似たようなことは思うだろうね…
[8:30]
祖母娘が到着。
[8:32]
ここでよくみる医師による「8:32分、ご臨終です」の科白を聞く。
ずっと勘違いしていたのが、息を引き取り、生命維持装置が撤去されたのは7:15を過ぎた頃なので、その時間が死亡時間だと思っていたが、医師による瞳孔の確認、臨終の科白があったその瞬間が正式な死亡届に書かれる時間だということ。なんでそうなるのかふと疑問だったが、死亡宣告されると、病室を明け渡す準備(体拭いたり、着替えさせたり)し、遺族との面会時間が短くなる(遅れてくる叔母が来る頃には既に病室にいないようなこともありうる)ということで、叔母が到着するまで待ってもらったことが原因。
ここから10時くらいまで葬儀屋の手配とか、いろいろあってバタバタと動く。
前もって葬儀屋(セレモニーホール)の目処はつけていたので、数カ所電話して空きを確認。遺体の搬送先(自宅か、セレモニーホール直送か。ルートは?自宅の前も通れますよとか)を打ち合わせ。
正確な時間は覚えていないけど、10時頃に、葬儀屋が遺体を搬出しにきて、病院地下で今は懐かしいU31型プレサージュで運んで行った。最後の最後まで医者と看護婦が総出で見送ってくれたので、なんかもう「ここまですんのか!この見送りっぷりは、レクサス並だな!」という感想。
とりあえず、速度の出しすぎで我が相棒、GSX1300Rのエンジンが病院で死亡するという事象が発生し、どうにもならなくなったので陸送の手配と、一旦実家に戻る。
[11:30-15:00頃]
自宅に戻り、割りと自宅から近いセレモニーホールへ移動。
既に祖母の遺体は遺族控室である和室に横たわっていた。
その遺体の横で葬儀の打ち合わせ。
なかなか面倒だったのが、
1.祖母は新潟の生まれで、寺と墓は新潟にある。坊さんの手配
2.戒名どうすんの?
3.家族葬にすんの?新聞のお悔やみ欄に出してもらうの?花とか祭壇?の飾り付け、料理などの手配
まず、1に関して、墓は新潟なのだが、群馬に仏壇はあり、法要は群馬の寺にお願いしているという事情がある。とりあえず群馬の寺から坊さん呼ぶにしろ、一度檀家である新潟の寺に仁義を切る必要はあるので電話。ついでに噂では100万取られる説があった戒名についても聞いてみる。
【結論】
・新潟から坊さんを派遣することもできる。
・群馬の寺にお願いしてもいいよ。
・戒名は無料でつけます。四十九日の時に気持ちとしてお金ちょうだい
・戒名はFAXで送るので、群馬の寺で位牌に書いてもらってちょ
FAX!!
とりあえず、坊さんは群馬から来てもらうこととし、戒名は新潟の寺でつけてもらう。
物凄くお金とられる説があった戒名代だけど、なんか特別な名前だと有料?だけど、普通につける分には無料とのこと。たぶん寺との付き合いとかで変わると思う。あと、男性と違って、女性の場合はそこまで戒名代が跳ね上がることはないそう。(男尊女卑とは違うのかもしれんが、一家の主であることが多い男性の戒名はよいものと付けたいという事情があり、それでお値段が張るらしい。)
戒名代=ドメイン代 みたいな感じ?ゴロのいいドメインはたけぇよ的な。
寺との打ち合わせも終わり、それと同時に火葬場の手配。
群馬の火葬場なんかしらんけど、高崎市に住んでいたので、高崎市斎場にするという話になりますた。正直、どこでもよかったので行くまでわからなかったが、みんなが「寺尾の火葬場」と呼ぶそこは…
俺達の聖地!関スポの近所!!
あそこか…
日程の都合(友引が重なった)で、葬儀は27日午後になりますた。
あとは祭壇の飾り付けとか、花とかを打ち合わせ。
最近は結婚式もそうだが、葬式も業者はipadでやるんですね!まぁ画像とか動画見せられるしいいよね。
[14:00]
ジャージに防寒着というステキな格好でバイクに乗ってきたので、一旦埼玉に礼服取りに行く。ついでに散髪。
[22:00]
セレモニーホールに戻る。
この日は「返事がない、ただの屍のようだ」状態の祖母と二人、寒い夜を過ごす。
遺体が控室にあるため、保存状態をキープするため、この季節に冷房ですよ!!
ガクブル。。
DAY3(2/26)
[7:00]
起床、9時に湯灌があるので飯を食う。
[8:45]
湯灌。スタッフがやってくれるので、特にすることなし。
死化粧で新潟的に言う「にーくげなばーさん」が綺麗になった!若い頃は美人だったと散々言い聞かされてきたが、確かに痩せると美人だな!
納棺が17時とかなので、それまでに近所のイオン高崎へ買い物。(実は靴を忘れた)
[16:00]
納棺準備。
足首とか、手首にいろいろ巻き付ける。
三途の川を渡るための六文銭もここで胸元に入れてあげる。
ここで
「こんな少ね金でSUNSの川渡れっかね!!」
と金にうるさいばーさんが起きるかと思ったが、そんなこともなく淡々と。
家族全員の同意で、「お前が一番ばーさんに金もらってんだから、最後に返したれ」と銭入れる係。
うん、数百万以上の金をもらっておきながら、最後に返したのがまさかの【六文】!!
現代価格に直すと、数百円らしい!!
ごめん、ばーちゃん…出世払いな☆ミ
金属は一緒に火葬できないので、六文銭は印刷された味気ないやつでした。
で、納棺なので、棺を部屋に運んで遺体を収める。
棺は割りとゴージャスでした。でも定価30万円が割引されまくって10万円って…まぁ木だし?
原価いくらだよw
[17:00]
礼服に着替えて、うんちゃらかんちゃら。
ここで我が妹、はじめて礼服を着て憂かれ、旦那に「見て、私未亡人みたい☆」と爆弾発言。
旦那、勝手に殺されるなど。
妹は未亡人=旦那に捨てられた女みたいな意味だと思っていたらしい。
大丈夫か、24歳。
[17:30]
通夜の受付。
長男なので受付な!ともうバタバタ。
localruleなのか知らないが、葬式はもらった香典をその場であけて、台帳に名前と金額を書く。で、香典返しの受け取り券を渡した。
あとなんか新潟ruleらしいが、香典の他に何種類かお金を受け取る。セレモニーホールのスタッフも「群馬は香典だけなんですけど、新潟は違うようです」といっていてバタバタw
[18:00]
通夜。
坊さんの話がわかりやすい!!さすがカウンセラー!!
あの話し方は業務に活かしたいなと思う次第。
[19:00頃]
食事。
いきなり献杯の挨拶しろと言われて、何も考えていなかったけど、「遺影の前でv( ̄Д ̄)v イエイ みたいな楽しいノリで会食しましょう」的なことは言っておいた。
この日は線香当番を叔母と交代でやる。
寒い、とにかく寒い。控室では叔父のいびきがうるさくて眠れず、結局一晩中遺体の前で仕事したりしてた。これがノマドワーカー!!
DAY4(2/27)
[11:00]
葬儀
生い立ちビデオじゃないが、想い出写真みたいなのを流される。
で、初七日の儀も一緒にやっちゃう。
[11:30]
告別式。なんかやっと全ての仕事から開放された安堵からか、ここでまさかの号泣。忙しくて泣けないって話はほんまやったんや!!
皆に、あとから「なんでお前告別式の直前にあんだけ泣くんだよ」と突っ込まれる。
棺に大量の花を入れてお別れや!
父がv( ̄Д ̄)v イエイ…じゃくて遺影を、母が位牌、俺様が骨壷で霊柩車へ。
霊柩車。。。まさかのレクサス!!
※参考画像(http://www.tecno1.co.jp/300_product/312_019.html)
魔改造すぎるセダン!!長年乗り心地の悪い、ラリーカーな父のクルマと、俺の魔改造軽自動車ばかり乗せられたばーさん、死んでやっとレクサス!!クルマ好きな我が親子は「ばーさん、最後の最後でレクサスかよwww」とおおはしゃぎ、運転手さんごめんね☆
さすがのレクサス、乗り心地がよかった。俺様のエボも霊柩車になりませんかね、世界最速2Lターボの霊柩車。どんな悪路もフルタイム4WDで突破するぜ!
[13:00]
火葬。泣いても笑ってもこれで最後!俺が生まれてから30年、両親との思い出はほとんどないが、ばーさんとの思い出は山のようにある。まさかこんなに早くとは思わなかったが、それが人生…ありがとう!
[13:10]
火葬場で軽食。焼き上がりまで1時間40分、弱火でじわじわ焼く感じ?
[15:00]
焼き上がり。リウマチだったりで投薬生活だったばーさんの骨はやっぱほとんど残らなかった。あと関節に金属が入っていると聞いていたが、チタンの金具が大量に出てきた。それでも動く、人間の神秘!
帰りに骨壷抱きかかえて、なんだかなーという気分。
ばーさんに抱きかかえられて大きくなった俺様が、今は逆に時代の流れみたいな感じでダウンサイジング化されたばーさんを抱きかかえているわけです。つい一ヶ月前、元気だったばーさんを見た自分では信じられない感じ!
[16:00]
セレモニーホールに戻り、お清めという名の食事会。
[17:00]
終了。
[18:00]
セレモニーホール撤収。
実家の仏間になんか祭壇作ってもらった。
というわけで、一連の流れは終わるわけです。
大体ざっくりこんな感じ。
葬式は地域別でlocalruleがあって、なかなか大変。
だがしかし、大好きなばーちゃんの最後を見届けることができて、満足はしている。
ifの話ではあるが、始発で病院に向かっていたら病院到着はどんなに早くても7:30過ぎで、死に目には逢えなかった。バイクで向かったからこそ、亡くなるまでの2時間以上を過ごせたことはやっぱり幸運なことだ。
幼少期、しわくちゃな手で俺の手を引っ張ってどんな場所でも連れて行ってくれたばーさんの手を最後まで握れたことで、自分の中では悔いはない。
葬式は大変だったけど、祖母への最後の孝行はできたと思っておる。
よく言われることで、もちろんあえて言うまでもないが、人はいつどうなるかわからないので、やっぱり後悔ないように接していきたいねと思う。
そして、最後の最後に「ありがとう」と言えたらそれが全てじゃないかなぁと今回思った次第。
次は四十九日。
桜が大好きで、俺さまが18歳で免許をとるとき「新潟まで桜みにクルマで連れてけ」と免許代を出してくれたばーさん、生きているうちにそれはかなわんかったが、遺骨を納めつときにちゃんと運転しちゃるぜ!
アディオス。