ぴよこ☆くらふと☆わ〜くす

イタイタしい生活を送ってます。

平成を共に過ごした愛車たち

 平成の思い出といえばなんだろう?

 

やはり自分らしいといえば、今まで乗ってきた愛車たちとの思い出じゃなかろうか。

 

平成14年に免許を取得して今年で17年になるけれど、購入した車は10台。

 

どの車も印象深く、そして車を通して何を得たのか・・・。

 

そんな思い出を振り返る自己満足回。

 

そこまでマニアックな車は出てこないけれど、うわ懐かしいなこれ!だったり、なんでこいつこんな車からこれに乗ったんだよ・・・って思うことも多々あるとは思うけれど、それも含めての中の人の素性なのでまぁ暇なときにでもお目通しを。

❚三菱 LANCER 1800GSR(4AT)

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最初の1台なのにいきなり自分の車じゃない。大学時代に富山のサーキットで撮影した同型の車だ。これのシルバーが最初の1台だった。

 

ランサーといえば当然エボリューション

ランサーエボリューション・ストーリー 三菱ラリー哲学の具現化 (エンスーCARガイドSP)

ランサーエボリューション・ストーリー 三菱ラリー哲学の具現化 (エンスーCARガイドSP)

 

セディアを含めれば第三世代ランサーまでは1800ccターボモデルが設定されており、それが通称ランタボで呼ばれる1800GSRだ。

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 第一世代CD5A時代は競技専用のRSモデルが設定されていたとおり、三菱のラリーおよびダートラにおける戦闘車だった。これをベースに2000ccの4G63ターボを載せたモデルがエボリューションシリーズの始まりだ。

 

ぼくが父にもらったこのモデルは4ATだった。そもそもランタボが存在し続けられた意義を勝手に解釈するとハイパワーターボでATが存在したことじゃないかと思う。エボシリーズは7までATはなかったし、逆を言えばエボ7GTAとエボワゴンにしかATがなかった。だからハイパワーターボのランサーを味わうならランタボはありだ。

 

当時はイニシャルDが全盛期で、群馬の高校生だったぼくらは卒業したらスポーツカーを買って上毛三山を走るのが約束されたルートだった。

 

周りはハチロクやMR-2、180SXやシルビアなど定番スポーツカーを走らせたが、ぼくはそこに4ATの見た目は普通のおっさんセダンで紛れ込む。どう考えてもバカにされる対象でしかなかったが、侮るなかれ。

 

1800ccターボは最高出力205馬力、マフラーにECUまで変えて実際は230馬力くらい出ていたらしいこのAWDは加速でそれら2ドアクーペ勢を引き離し、サスペンションもラリーアート、補強もタワーバーに筋金君など入れていたこいつは実際はほぼ同級生に負けなしだった。なによいMTこそがスポーツカーだと言っている連中を4速ATで引き離すのは痛快だった。

 

最初の1台が人生観を決定するとよくいうが、間違いなくこのランタボが自分にとって「ATでMTマンセー勢を駆逐する」「ハイパワーターボ+4WD、この条件にあらずんば車にあらず」の価値観を生んだ。だから車を買うときも別にMTにこだわったことは一度もない。

 

 

❚スズキ ALTO WORKS RS-Z(5MT)

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ランタボは大学があった石川県に輸送する直前に榛名山でエンジンブロー(ぉ

不憫に思った父が中古車屋で買ってくれたのがこの10万円のアルトワークスだ。

 

ちなみにこのブログのタイトルに付いている「わーくす」はこのアルトワークスから取ったものだ。決して・・・

ウィッチクラフトワークス 1 [Blu-ray]

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ここから取ったものではないから悪しからず。

 

軽自動車をバカにするは昭和も平成も、きっと令和も変わらない。

 

ぼくもそうだったし、当たり前のことだ。何しろ最初に乗った車が1800ccターボで205馬力もあったのに、いきなり660ccの64馬力に乗れと言われたら普通の車好きの若者は拒絶反応を示す。どうしたって若いころは排気量とパワーがすべてだと思ってしまうからだ。

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けれどこれが滅茶苦茶楽しい!!

 

馬力は無いにせよわずか650kgという車体はすべてを帳消しにできる楽しさがある。峠を走ってもサーキットを走っても普通車がブレーキを踏まなきゃいけないポイントでノーブレーキでいける。ちっさい車で大排気量に食らいつく楽しさと誤魔化しが効かない、自分のドラテクだけがすべてになる世界は運転技術を学ぶにはちょうどよかった。

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燃費もよかった。下道でもリッター25kmも出る。3008のディーゼルなんか目じゃないくらいだ。それもこれもすべてが軽さにつながっている。この燃費のよさと当時はハイオクでも90円台で入る時代だったから毎週のように石川から徳島の宍喰町にあるローソンまで缶コーヒーを飲みに行く旅をしていた。

 

2年で20万kmを走った

 

よくサーキットの1周は一般道の何百km分とか言われるけれどぼくはルーティンが好きじゃない。だからサーキットを1周走るのであれば一般道を1000km走ればいいんじゃね?的な考えで毎週のように1200kmの往復だ。

 

MTの扱いも車の扱いもリアルワールドの20万kmで学んだ。若いころにそれだけ走ればそら何もしなくても普通に運転は上手になるよなぁと思いつつ。ジムカーナもサーキットもそこそこのペースで走れるようになった。

 

軽さは正義!これを教えてくれたのはワークスだ。

 

自分の過走行がはじまったのは走る楽しさを教えてくれたワークスだ。

 

ワークスに出会わなければ今の自分はいなかっただろう。

 

そういう意味でもワークスという単語はとても思い入れのあるものなのだ。

 

 ❚SUBARU PLEO RM(7速CVT)

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スバルの軽自動車はダイハツのOEMになるまでは伝統的に4気筒スーパーチャージャー搭載だった。これが唯一無二の軽自動車感があってコアなファンが多かったと思う。そもそも軽自動車で4気筒を採用するメリットはないし、トルクや燃費を考慮すれば3気筒のほうが利点は多い。今は1200ccクラスくらいなら3気筒エンジンを採用することの方がむしろ多いくらいだ。

 

それでも4気筒には4気筒のメリットがある。

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トルク不足を補うためにターボではなく低回転から連動するスーパーチャージャーを搭載する。

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いまでこそ当たり前に搭載されているCVTもこの時代ではスバルのプレオにしか搭載されていなかった。

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四輪ストラットという軽自動車にしては無駄な豪華な装備。

 

装備だけなら普通車を越える。これがスバルらしいこだわりだった。

 

プレオにはスポーツモデルのRSがあったが、RMは馬力は同じ64馬力ながらレギュラーガソリン対応(RSはハイオク)、SOHCエンジンでかつ装備を充実させたRSよりもお高い豪華版モデルだった。

 

ワークスからの乗り換えではただただ遅いとしか感じなかった。

 

なぜなら車重はワークスが650kgに対して870kgだった。同じFWDモデル、性能も軽自動車の上限値である64馬力なのだから単純にワークスに大人がフル乗車したくらいの重さはある。そりゃ速いわけがない

 

ただ峠も走ったし、Sタイヤを履かせてジムカーナにも出た。雪山ではインプレッサを下りで追いかける基地外ぶりを発揮もした。

 

もちろん過走行長距離アタックも行っていた。

 

ワークスより当然に燃費は落ちるが、代わりに車中泊できる広さがあった。ワークスでも後部座席で寝たりしていたが、快適性は段違いだ。大人3人で旅行にも行った。プレオが教えてくれたのはただ速さだけを求めない、旅の楽しさだった。

 

軽自動車だったが常用域では普通車と同等のクオリティを持つプレオは貧乏学生には最高の旅の相棒で、こいつの存在が後々まで続く長距離が快適なクルマ選びの指標になった。

 

❚日産 フェアレディZ バージョンST(5AT)

日産は90年代から00年代にかけて不遇の時代を送ったのはご存知の通り。カルロスゴーンが来るまでは本当に日産というブランドは消滅するのではないかとさえ思われた。復活を遂げた日産はフェアレディZを復活させた。

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ゴーン事件にはいろいろな意見があるだろうけれどこいつの元オーナー目線で言えばZ33を復活させたゴーンにその程度のはした金でごちゃごちゃ言うなよ、だ。それくらいにこれを蘇らせた功績は大きいと思う。だからそんなゴーンの心いきってやつを買ったのだ。

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フェアレディはとにかくそのプロポーションが美しい。このデザインを越える車はなかなかいない。スポーツカーは斜め後ろから見たデザインが命だと思っているけれどZ33は間違いなく斜め後ろのデザインが美しい。

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まさに貴婦人にふさわしい。写真も見返してみるとこのアングルからの写真が一番多かった。

 

ドライビングシートに収まった瞬間からテンションが上がる。

 

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初代のイメージをモダンにしたZ33のデザインは最高だった。いたるところに「Z」のロゴを入れたのもよかったし、当時はZグッズを日産公式で売り出していたのでそれもたくさん買った記憶がある。とにかくこの車は乗るよりも所有するという喜びが得られた。

 

所有欲というのは学生だったぼくには想定外の価値観だ。

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運転して楽しいことが一番でエクステリアやインテリアはそこまでこだわる必要はないと思っていたけれどそれは違ったことに気づく。

 

ただエンジンだけは絶望的に好みじゃなかった。

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VQ35は北米を意識したのか自然吸気といえば快感フィーリングだと信じていたのに、アメリカンなトルクで吹っ飛ばすみたいな雑なエンジンだった。吸排気をめちゃくちゃいじらないと望むフィールは手に入らない感じだ。

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3500ccに望むべきことじゃないが燃費は極悪だ。所有期間中にリッター10kmを越えることがほとんどなかった。また当時二十歳そこそこのぼくにとっては年間保険料や維持費が殺しに来ていた。

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Z33なんだからMTだろという意見はごもっともだけど、ぼくはこの車にワークスのようなスポーツさを求めなかった。グランドツーリング的な使い方でゆったり走るのがベストだと思う。だからATで十分だ。当時の日産は2500ccに4AT、3000cc以上はCVTであることが定石だった気がしたがZ33は5ATを採用した。日産はATに関して多段化したのは割と遅かった気がするがCVTに可能性を賭けたのか、それはどうかわからない。

 

クーペに否定的ではあったが、プロポーションの秀逸さはクーペに敵うものはないと、そう思う。

 

❚日産 スカイライン250GT(4AT)

失敗作のスカイラインと言われることが多かったのがこのV35型だった。

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人にはときにセダンが無性にほしくなる時期がある。ぼくも御多分に漏れずセダンに乗りたいときが来た。250GTはそんな目の前に現れた天使のような1台だ。何より新古車なのに阿保みたいに安い価格で2500ccクラスのセダンが買えた不人気車。

 

不人気なのはR34型から方向性を変えたスカイラインだからというのは大きい。

 

正直R34までのスカイラインにまったくぼくは興味がない。

SKYLINE GT-R Story & History Vol.1 (Motor Magazine Mook)

SKYLINE GT-R Story & History Vol.1 (Motor Magazine Mook)

 

少なくともインテリジェントハンマーと言われたR34よりはV35のデザインのほうがまだデザインをあきらめていない感があっていい。

 

RBシリーズは名機だったが当時は重くて長い直6は絶滅する道しかなかった。

 

f:id:kumawo0017:20190421002740j:plainV型6気筒を搭載するのは必然だったろうし、そこまでしてスカイラインブランドを残した日産勢を素直に凄いと思いたい。もちろんV型を搭載して徹底的に重量バランスにもこだわっていたのは売りの1つだった。

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前後重量配分52:48。後輪駆動としてはほぼ理想的なバランスだった。

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Z33の5速に対して2500ccのセダンは4速ATだった。Z33の項でも触れたけれど当時の日産はまだ当たり前にこのクラスでも4速ATを採用していた。ワイドギアの4速でも排気量があれば十分に引っ張れるし実際街乗り程度であれば4速でも十分なのだ。逆に出来の悪い多段ATで変速されるよりは変速ショックも回数も少ないからいいという見方もできる。あれから10年以上経って今は当たり前に8速や9速が2000cc以下のクラスでも採用されていることを考えると時代の移り変わりは凄いと思う。

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インテリアに関しては当時の日産に多くを望むべきではないけ。劇的に変わり始めたのはモダンリビングをうたいだしたティアナあたりじゃなかろうか。

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あまりに味気ないメータもいかにも高齢者向けセダン感半端なかった。これを二十代そこそこのガキが乗るのはなかなかどうかと思うけれどぼくは好きだった。

 

ゆったりのんびり走る。そういう走らせ方も悪くない。

 

飛ばすだけが正義じゃない。

 

高速道路をゆったり流していると追い抜く車は一度、減速する。

 

覆面パトカーに見えるらしい(ぉ

 

日産 マーチ12SR(専用スポイラーレス)(5MT)

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V型の自然吸気エンジンを乗り継いで「本当に気持ちいい自然吸気とは?」と考える。

 

社会人1年目、日産ディーラー勤務のときに買った1台はその解でもあった。

 

マーチ12SRはマーチをベースにオーテックが徹底的にチューニングした1台だ。特に過給機も持たず、ただCR12という量産型のエンジンをベースに愚直にできることをやる。ハイカムやポート研磨などゲームの世界でしか聞いたことがない技術をこの大衆コンパクトカーに対して行うオーテックはまるで現代のアバルトだった。

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特徴はエンジンだけじゃなくボディ補強やエアロにも及ぶ。ぼくの購入したモデルは12SRの特徴の1つでもある大型スポイラーレス仕様だ。カタログの隅に掛かれた通常モデルより5万円安いエアロレスモデル、下取り査定だと通常モデルより10万円安いというバッドエンドも待っていたが、ぼくは大型のエアロが好きじゃない。

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なによりセールスすら知らない謎仕様ときたら自分が買うしかないじゃない!とその気になってしまうのが当時のぼくだった。売れていないですと言われると欲しくなる人は世の中そんなにいないと思うけれど。

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スポレス仕様はオーテック里帰りMTGのときに開発者に「それを買った人に初めて会った」と言われるほど売れてなかったらしい。納車から一年以上経過しても聞いた話だと30台くらいしか出ていなかったそうだ。そりゃそうだろう、レスにする理由がない。もっともレスにする人は社外品のエアロを付けることが前提だから、ノーマルで乗る人がいない。

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見た目ふつーのマーチだし。。。それに180万円もはらうのかという感じはする。ただ、スポレス仕様はぼくのアイデンティティだった。

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クリスタルシフトノブwwwwww 

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正直パワーはない。

 

12SRがくれたものは友人だ。

 

北陸の地で出会った同じマーチに乗る大人たち。

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マーチのある生活は人生観を変える出会いの場だった。 

 

車を乗り換えても今なお続く。

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そんな素敵な出会いの場をくれた、マーチ12SRはそれだけでも素晴らしい。

 

 

❚三菱 FTO VersionR(5AT)

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どうしても乗りたいクルマがあった、それがFTOだ。ナンバーの15は16進数の「F」、森博嗣氏の作品から頂いた。

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

純粋にこのデザインをかっこいいと思う。三菱がこれほどのデザインのクルマを売っていた時代が確かに平成にはあった。そして今なお、FTOは根強いファンを持っている。だってこんなに格好いいクルマ、ないもん。

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前後左右どこから見てもただただ美しいプロモーション。そして、それは見てくれだけでなくエンジンまでも含めてすごかった。

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6A12MIVECはよくできたエンジンだった。この時代のFWDスポーツカーはDC2インテグラTYPE-Rのほうが有名だった。あれは誰が乗ってもある程度は速いクルマだったが、FTOは乗る人が乗ればかなり速い。そもそも2000ccにV型6気筒を積む意味がわからない。ただ、このエンジンは200馬力を叩き出すとかそういうところじゃなくMIVECが入ったときの官能的なサウンド、それが最大の魅力だ。

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8000回転まで回る。

 

5ATだった。三菱のATはよくできている。そもそも日本で最初にマニュアルシフトをつけたATはFTOだったのだ。スポーツカーというよりラグジュアリー路線もでありながらしかも速い。ATだったが普通に戦えるのはランタボ同様。ちなみにFTOもランタボもプラットホームは同じなのであの時代の三菱車はFTO、ランサー、ミラージュで同じ部品が使えるし、なんならエボの部品も使えた。

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ランエボ6のホイールが履けるのだ。

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ちなみにヤフオクで15万円だったかで買ったw社会人になって買ったクルマの中ではダントツで安い。でもこれが15万円だったらもう一度買いたいし、正直いつでも買える。でも人生は何事もタイミングだ。多分、あのときにしかぼくはFTOに乗ることができなかった。

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一番乗りたいクルマには乗った・・・ここでぼくにとってのカーライフは一旦終わりを迎える。FTOを最後に乗って急激にほしいクルマがなくなったからだ。

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❚SUZUKI GSX1300R(6MT)

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FTOを降りてぼくはバイク生活に入った。それは都内で生活する上でクルマが本当に必要なかったからだ。このとき会社も代わり、震災もあり、通勤を電車からバイクに変えた。

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ハヤブサはクルマよりも先に自分が興味を持った乗り物だ。99年の衝撃を見た人の中には同じ理由でハヤブサを買った人も多いと思うけど、あの当時高校生だったぼくには衝撃的過ぎた。公道を300km/hで走っていい乗り物があると。

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同棲していたが、彼女と二人でこれでどこまでも行った。タンデムで一日1000kmを走るバカもやれた。ハヤブサは速度だけの乗り物じゃない。

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今も駐輪場にあるので正式には降りたわけではない。ハヤブサは宗教であり、信仰の対象なのだ。常にそこにあることが重要なんだ。

 

❚三菱 LANCER EVOLUTION9 GSR(6MT)

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ハヤブサだけの生活はさすがにしんどいと、結婚直後に「セダンを買うからクルマを許してほしい」と訴えて用意したのがこのランエボ9だった。

 

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黄色なのでナンバーは145(ひよこ)。

 

ランサーで始まった自分のカーライフはここで再びランサーに戻る。

 

ターボからエボリューションへ、これが本当の進化だ。

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名機4G63は最終型でMIVECが搭載された。以前に乗っていたFTOもMIVECだったがやはりあれとは全然違う。鋳鉄ブロックの古めかしいエンジンだったが、頑丈さは確かだった。多少オイルを吹くのは愛嬌でボルト締めときゃなんとかなる(ぉ

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純正でついていた欠点でもあるチタンインコネルタービンはやはりブローした。

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エボはとにかく凄いクルマだった。電子制御デバイスでまったくAWDを感じないのに、いざというときは怒涛のトラクションがかかる。そしてドライバーが望むことを忠実に再現してくれる。スポーツカーなどではなく、これは戦闘機だ。そりゃそうだ、そのままWRCのグループAで戦えるポテンシャルがある。公道を最速で走るために生まれたクルマは、当然に公道で速い。

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AWDはアンダーステアが出たらそれ以上は踏めない。アクセルを離すしかないのだが、エボはアンダーが出たらアクセルを更に踏み込んで曲げる必要がある。ACDとS-AYCの統合制御はそれを理解しないと逆に危ない動きになる。そんなこと頭でわかっていても実際にできないが、できればランエボはとてつもなく速い。

 

速い、速いとばかり言っているけどこのクルマは歴代のクルマで一番実用的だった。

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第3世代のエボはとにかく広い。もともとが実用セダンなのに高速ラリーへ対応するためにホイールベースまで延長されたから後部座席の広さはものすごい。

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ランエボから500Xに乗り換えたらむしり狭くなったのだ。

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なんでも乗るし、人も乗る(ただしチタンマフラー入っててめっさうるさい)アームレストにドリンクホルダまで付いているのだから単純な後部座席の単純な広さだけ見れば歴代NO1だ。これでキャンプにも行ったし、岡山まで行ったりもした。

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車中泊0泊5日九州もやった。

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エボなのに1度もモータースポーツに出なかった。自分の中でこの手のクルマでモータースポーツをやるのはダサいという謎の考えがあった。逆にプレオや500Xのような本来競技に適さないクルマでやりたい。だって単純に目立つ

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ストリートがメインだった。通勤と子供の送り迎えをやるのがメインだ。どう考えてもランエボの使い方としてはおかしいのだけど、仕方ない。

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夏タイヤでもACDをSNOWにしたらスタッドレスの後輪駆動よりグリップしながら走るもんだからラリーカー凄いなぁと素直に思えた。

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電子制御系のチューニングも補強も一通りやった。だけどモータースポーツは一切やっていない。エボはあくまでストリートを快適に速く走るための車というコンセプト。ぼくの中では三菱版22Bを再現したかった。

徹底的にフィーリングを磨き、通勤快速としての基本性能は高まったが、それに伴い維持費用も増大した。 

 

さすがに嫁がブチ切れて手放すことにはなったが、4G63を最後に味わえたのはいい経験だった。エボを知らずにラリー好きとは言いたくない。

 

❚ KTM 200DUKE(6MT)

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通勤快速DUKE号。四輪も二輪も初の輸入車。

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とにかく燃費がいいし軽いので通勤にはベストマッチな1台だった。

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所詮200ccなので高速は振動も凄いしやばい

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これでタンデムとかしたんだからありえないと思う。KTMのこの独特なデザインは好きだったし、なんなら今でもDUKEは好きだ。1290は化物だと思う。

 

❚ FIAT 500X CROSSPLUS(9AT)

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散々書いたので割愛w

 

❚ MV AGUSTA BRUTALE800RR

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通勤快速DUKE号からの乗り換え。

 

絶対に通勤に使うべきではないバイクオブ・ザ・イヤーノミネート(?

 

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斜め後ろから見た三本だしマフラーと、回したときのサウンドに惚れて購入。

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走る宝石だのなんだの言われているし信頼性が怪しいとよく言われていたけど、毎日のように、それこそ夏場の都内の通勤にも使っていたけど一度も不具合を起こしたことはない。

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イタリア車あるあるなのだが、壊れる壊れるというけど実際に毎日乗っている人間からするとそんなに壊れない。多分壊れると言う人は日常的に乗り回していない。毎日乗るほうが逆に壊れづらいのではというのはフィアットでも経験した。

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フィアットとアグスタの2台生活とか普通の人の考えからしたら頭おかしい、しかも趣味ではなくフィアットは仕事に、アグスタも通勤に使っていたわけだ。

 

ある意味で夢のような二年間を過ごした、とても楽しい時間だった。

 

❚PEUGEOT 3008GT BlueHDi(8AT)

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これも割愛。

 

こうやって遍歴を眺めるとまったくもって共通点がなく、お前は一体どんなジャンルが好きなんだ?と言われてしまいそうなくらいに統一感がない。

 

面白いことにトランスミッションは・・・

 

・4AT

・5AT

・5MT

・6MT

・7CVT

・8AT

・9AT

 

4速から9速までこの平成の17年間で乗ってしまった。

 

エンジンはさすがにそこまでバライティに富んでいない。

 

・直列3気筒DOHCターボ

・直列4気筒DOHCターボ

・直列4気筒SOHCスーパーチャージャー

・直列4気筒ディーゼルターボ

・直列4気筒自然吸気(改)

・V型6気筒自然吸気

 

直列4気筒が好きなんだなっていうか、普通にそれが世の中に出回っている商品として一番多い(ぉ

 

共通点はなににせよ30代を迎えて趣向がSUV・・・そして輸入車にシフトしたというのはご理解いただける流れだと思う。29歳から30歳を迎えたその日に乗っていたのはランエボで、その後は500X、DUKE、BRUTALE、3008とイタリア・オーストリア・フランスと欧州に行き着いた。

 

趣味趣向はどちらかといえば年を重ねてそっち寄りに落ち着いたというのか、単純に変わったクルマが好きというところが強調された選択になっている気もする。

 

どれもこれもそれぞれに個性があり、そして楽しい。

 

自分がいつまでクルマを運転するのか、できるのかは誰もわからない。それが今日までか、明日までなのか、10年後か100年後かも、誰もわからない。

 

でもこれからも、後悔しないクルマ選びをしていきたいと思う。

 

人が一生で乗れる数なんてたかが知れている、それは付き合える人間の数にも似ている。限界があるからこそ、そのときの出会いを大切に、思い出を紡いでいきたい。

 

平成最後を飾るガソリン車はフィアット、令和最初のクルマはまさかのディーゼル。それも含めて実にぼくらしい車歴だと、自分では思っている。

THE VERY BEST OF おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE! (エンターブレインムック)

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